2019年 小田博子著 「虐待被害者の味方です」 表紙絵製作 内容紹介20代まで両親から頻繁にいわれ無き暴力を受けてきた。 いま暴力で支配され怯えている人の力になりたい―― 44歳で突如全身が24時間激痛に覆われる、難病「繊維筋痛症」を発症。 その原因は幼少から20代前半まで受けた両親からの激しい虐待でした。 来る日も来る日も我慢を重ねた末の罹患に絶望も、「治るを諦めない」と誓い、 厳しい治療を続け、6年の寝たきりを経て、難病を克服しました。 本書は、病気の後遺症に悩まされながら、自身の壮絶な半生に向き合い、綴りました。 毎日のように目にする弱者への虐待や暴力、そして難病に対する社会の理解に対し、 いま喫緊の課題として投げかけます。 2018年 深田クラブ会報 第89号・記念バッジ製作 穂高岳(奥穂高岳) 上高地から眺めた億穂高岳を描きました。 梓川に岳沢、穂高岳というあまりにも知られた風景を、初夏から初冬まで足しげく通った昔の気持ちを思い出しながら、改めて描きました。 山の魅力に取りつかれた三十代には、連休が待ち遠しく、会社帰りには登山用品店に寄り、本屋でガイドを買い、何度も地図を眺めては、山に思いを馳せて過ごしました。 目標の山に登り終えて下山口の上高地に戻ると、帰りのバスで次の山の日程を考える日々でした。
20年程前に、初めて鹿児島を訪れたおり、城山公園から眺めた桜島を描きました。
当時 、友人とともに霧島山、開聞岳を登る山旅でしたが、鹿児島市内で、視界いっぱいに
広 がる錦江湾と桜島を望み、中部山岳とは異なる雄大な景色に圧倒されました。夏の盛
り で、南国情緒感たっぷりだったのをよく覚えています。いまだに頂上に立つことがで
き ない山ですが、その頂きに立ちたいという想いと同時に、いつまでも立つことのでき
な い山であって欲しいと願う気持ちにもなる複雑な山です。今回は、当時の印象を表現し まし
た。
奥穂高岳からの槍ヶ岳を描きました。山名が示す通り「槍の穂先」のように尖った山容はひと
きは目立ち、どこの山に登っても探してしまう存在です。この日本離れした岩っぽい独特な山を 大キレット越しに眺められる穂高連峰は、槍好きの自分にとっては最高の展望台です。眼下に 上高地、お隣に笠が岳、更には後立山連峰をはじめ、浅間山、八ヶ岳、富士山、南アルプスな ど中部山岳を独り占めできる贅沢で飽きることがありません。立ち去りがたい山頂でした。
表紙の言葉パムッカレはトルコ語で“綿の城”の意味で、遠くから眺めると、まさにそんな感じで
した。台地上部から流れ出るお湯が、長い年月をかけて石灰岩を侵食し、白い段々畑のような 大景観を作り上げました。白い奇岩の棚は落差約200m、幅約1,000mの拡がりを持っていま す。ひと昔前、日本たばこのポスターやCMに使われ、ご存知の方も多いと思います。たいへ ん人気のある観光地で、世界遺産にも登録されています。現在、水量枯渇のため、決められ た時間に、決められた場所に限り放流しています。場所によっては水が全然行きわたらないの か、白い棚に草が生えている所もありました。白いカスケードの上部には、古代都市ヒエラポリ スの遺跡が残っています。紀元前1900年、ペルガモン王エウメネス2世によって作られた都 市遺構です。現在、円形劇場は修復中で入る事が出来ませんでした
「山の記憶」中谷寶悦郎著 白山書房 3000円深田クラブ、日本山岳会の先輩であり、四
国、中部の警察学校長、東北、関東管区警察局公安部長を歴任された中谷寶悦郎さんの長 編自伝です。悲劇からの脱出を託した「夢の弾丸」が山に向かって発射された。いつの日か 「痛み」が「赦し」に変わり、「山が好きだから」と胸を張れる時がくるのを願いつつ、登山への 熱い闘いが始まった。(本文より)写真の絵は(上)赤牛岳 (中)石狩岳 (下)飯豊山
ギャジョ・リ山塊ネパールを訪れた時に描いたスケッチを基に油絵で制作しました。描いた山
はネパールの聖なる山「クーンビラ」に続く山脈で、スケッチした場所マッチェルモは「カルカ」と 呼ばれるヤクの放牧地やロッジが数軒ある集落です。この場所は展望が良く、間近に迫るギ ャジョ・リなど、ヒマラヤの高峰が望める気持ちのいい場所でした。
九州の由布岳を描いたものです。この時には深田クラブの会員のSさんの車に乗せてもらい
由布岳、阿蘇岳、祖母山を登ってきました。
コミュユニティ新聞「つるせ」1月号冬の晴れた日には2市2町でよく見られる富士山を描きまし
た。日本のどの山よりも高く美しい姿は、見る者に感動を与えます。現在ゴミ問題、自然破壊 等の問題を抱えていますが、日本の宝として、美しいまま後世に伝えたいものです。 日 本一の山を望む地から(2000年1月号 表紙のことばより)
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